(19)【自信という感情は存在しない】
(19) 2015年6/3
自信という感情は、存在しない。
自信がないという人や自信を持ちたいという人がいるが、もともと実在しない感情を手にしょうとする不可な目標を立ててては、永遠に自信は、手に入らない。
恐怖は、実在する。扁桃体で、身を守るために起る自然な反応です。扁桃体が守られていて、恐怖を感じにくくなっている人は、自信ありげに見えたりする。
赤ちゃんは、何一つできなくても、自信ありげだ。だから、自信を持とうとするのでは無く、恐怖にどう立ち向かうかが鍵となりそうな気がします。
自分に手が負えない脅威が近づいてくるのを感知した瞬間、すぐに戦うか逃げるかを決める。
戦うと決めると過去の経験から、相手が弱いと、勝てると前もって判断して、余裕で、勝負して、勝利し、その経験が、自信を生み出す。
しかし、相手が強いと負ける恐怖に戦いながら、拳を固める。この時に出るアドレナリンが怒りを生む。
実際、戦いに負けると、深く悲しむか、
自分は、ダメだったと罪悪感を感じる。
十分に準備しなかったことへの後悔の念に駆られるかもしれない。
いずれにせよ、自信は、戦いに勝つ体験や、成功を積み重ねるなどの恐怖に打ち勝つことが必須になる。
戦わずして、自信をつける方法は、ないでしょうか?
まずないだろうが、
この事実を受け止めることができずに、恐怖をなかったことにして、内側に隠そうとする。
なかったことにすれば、怖くないというわけだ。
恐怖や怒りをなかったことにして、抑圧して、自分をごまかしても、自信を持つには、いたらない。
その代わり、自分のリアルな感情が感じれなくなり、自分の体と分離してしまい、体は、悲鳴をあげて、病気になり、体を壊すか、精神病になるだろう。
今日本中に鬱が蔓延しているのは、恐怖を乗り越える方法を
学ばずにきたことのつけが溜まっている。
では、大人になって自信がない人は、手遅れなのか?
もちろん道は、あるが、覚悟がいる。
子供の頃に乗り越えておけば、簡単だった小さな恐怖が、未処理のまま、膨れ上がって、体に毒素を出すまでになっている。
全身全霊で、自分を根元から、変える覚悟がいる。
なんとか耐えれそうなら、このまま死ぬまで、突き進むのも、選択の一つだ。慣れ親しんだ不幸を手放すのも辛いことだ。
ほとんどの人は、今生は諦めている。
私は、あまりに辛くて、でも方法が分からず、諦めていたけれど、
友達に勧められた和尚の本に救われたので、日本のすべての過去を捨てて、インドに向かった。
探せば道は、ある。
恐怖に打ち勝つこと。
方法は、たくさんある。
なんとかしたいと意図するなら。