【石丸賢一先生「思考とは何か?」2015年6/20FB投稿より

2015年6/20

思考と雑念と啓示は、私の中では、まったく別物ですが、

区別していない人が多いかもしれません。

思考は、とても意識的なものです。

思考するには、少しエネルギーが、気合いが必要です。

雑念と啓示は、やってきます。おそらくは、神からの啓示は、毎舜やってきているのでしょうが、雑念との区別が付きにくいので、よく見守る必要があります。

雑念というのは、他人の思念です。

役立つ場合もあれば、クズもあります。多くの場合、他人の平均的な思念なので、ユニークさに欠け、またかとがっかりすることが多いのです。

マスコミ情報というのは、雑念の典型ですが、役立つ場合もあります。

天の啓示というのも良く来るのですが、素晴らしすぎて、打ち消したくなり、無かったことにする傾向が強いのです。

このまま行くと、貧富の差が激しくなって、病んで相談に来られる方が、経済的にも困窮して、保険料も払えずにますます困窮して、犯罪者になるか病人から廃人になるしか道が道が無いのではないか?

誰がそういう人を救うのか?

ここまでが、神の啓示です。

まるで、そのような人を目の前にして、ほっておくつもりか?

と突きつけられているようです。

神の心を持っていれば、当然救うだろうと言わんばかりです。

ここから思考を使います。

このようなメッセージは、すべての人に神は、投げかけているはずです。

自分にだけ投げかけられたと勘違いして、

俺こそが人類の救済者だと、調子に乗ると、とんでもない事になります。

一人の人間ができることなどたかが知れています。

啓示を否定せず、かと言って間に受けず、冷静に思考しないと啓示が無駄になります。

他のふさわしい人達が解決するかもしれません。

判断を停止してじっくり考えます。

少し考えれば、今の自分の器ではないことが分かります。

しかし、誰も行動に移さずにいれば、ジョンシー博士くらいの愛があれば、何かを行動に移しただろうと思うのです。

結論は、時が来るのを待とう!

です。

こうして、思考と雑念と啓示を区別しながら、観察して取捨選択しながら、暮らしています。

以前よりは、雑念に振り回されずに済むようになっているのでは、と思っているのですが、神様には、笑われるかもしれません。

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本日も、読んで頂き、有難うございました。

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