【石丸賢一先生「思考とは何か?」】2015年6/18FB投稿より

2015年6/18

英語を教えていて、無思考がどれほど大切かを学んだ。

我師、和尚は、何度となく、私の手を見るのではなく、手が指す月を見なさい、と説いた。

手とは、言葉のことです。

いくら言っても瞑想しない、それゆえに、いつまでも狭い思考に囚われて、夢遊病者のように生きている愚かな弟子達に、業を濁していたに違いありません。

こちらは、悟っていない訳ですから、仕方がありません。

和尚がいう、月と月を指差す手のことを見つめて来ました。

和尚の言うことは、常に正しく、それを理解できない弟子は、まだまだ瞑想が足りないのです。

和尚が教えようとした真理は、英語教育に役立ちました。

私達の日本語の思考が邪魔をして、英語が上達しないのです。

英語の意味を理解するのに一度日本語訳しないといけない、という信じ込みが、

いつまでも、英語の苦手意識を消せないでいる理由です。

言葉を超える思考が実在することを言葉を使って伝えることには、矛盾がありますが、これ以外の選択肢が、この瞬間には、ありません。

例えば、犬は、ワンワン泣くという。英語ではバウワウ泣くという。

ワンワンもバウワウも言葉です。これが、月を指差す手です。

犬の泣き声のリアリティは、ワンワンでしょうか?バウワウでしょうか?

本当の泣き声は、どちらでもありません。

リアルな犬の泣き声は、YouTubeで探していただくことができます。

そのリアルな泣き声が和尚が見て欲しかった月です。

ワンワンやバウワウからリアルな犬の泣き声を想起できるのなら、その思考には、意味があります。

リアルな犬の泣き声を聞いて、これを英語ではバウワウと表現すると学べば、脳の負担は、少ないのですが、ワンワンをバウワウと訳さないといけないとか、

バウワウをワンワンと訳さないといけないと学ぶと、脳は、混乱するのです。

リアリティではないワンワンとバウワウの脳内の変換ゲームばかりして、気がつけば、英語が上達しない、苦痛の種となるのです。

これと同様のことが日本語でのコミュニケーションで起こっているのです。

言葉でコミュニケーションをしてトラブらないはすがないのです。

だから、私は、喋るなと教えるのです。

世の中は、相手の話を聴かずに、独り言を言い続けるキチガイ病院のようなものです。

あなたの話を聞く気は、ないけれど、私の話だけは、聞くべきだと信じ込んでいる病人の集まりです。

ジョンシー博士の最後の講演が、アメリカの東海岸のノースカロライナで行なわれました。

いつも様々な出会いが有るのですが、一人、地元の純朴な木こりを仕事している青年に話しかけられました。

キネシオロジーには、別れた奥さんに勧められて知ったという。

奥さんは、明日くるという。彼は、とても良い人なのですが、英語の訛りがきつくて、良くわからない。

こちらの英語力不足もあるから仕方がありません。

こちらの下手な英語は、相手に伝わっていないはずだけど、なぜか気に入られてしまって、長い間、話し込みました。

翌日、彼の元奥さんが来られて、話す機会を得ました。

それは、とてもも美しい人で、ビックリしたのですが、それ以上に、英語分かり安いことにビックリしました。

そして尋ねたのです。

あなたのご主人の英語は、訛りきつくてよくわからないのにあなたの英語は、訛りがなく聞きやすい。普段は、どのようにコミュニケーションをとっておられるのですか?

コミュニケーションが取れないから、別れたのです。

言葉によるあらゆるコミュニケーションは、こんなものだ。

言葉を超えなければ、思考を超えなければ、真実を伝えることは、できない。

ワンワンやバウワウから、本当の泣き声が想起できる者同士がコミュニケーションを取らなければ、理解しあえない。

日本語で思考している間は、英語をマスターできない。

英語脳を作るといった意味不明なことをしても無駄だ。

言葉を超えて、リアルに物事を見て、聞いて、生きることを始める以外にない。

どうしていいかわからない人のために和尚は、瞑想できる場を用意した。

思考に振り回されずに生きるには、瞑想以外の道は、ない。

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本日も、読んで頂き、有難うございました。

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