【石丸賢一先生「思考とは何か?」】2015年6/17FB投稿より
2015年6/17
感情についてよりも、
思考についての方が反響が大きいのは、
多くの皆さんにとって、
思考の方がリアルなのかもしれませんね。
自分の思考を疑ったことない人は、
人生の中で何度も繰り返し
同じ失敗をしてきたはずです。
中学時代の彼女を死ぬまで、
愛する永遠の愛だと、
本気に信じていたけれども、
その後、20回くらい
新たな彼女に永遠の愛を感じては、
消える経験をしてくると、
自分の永遠の愛という思考を疑わざるをえない。
目の前の美しい女性を
真剣に愛することがあっても
永遠ではないことを理解することになる。
過去の永遠の愛という思考は、
間違いだったと理解するようになり、
ウソをつくことが減り、
より真実を口にして、
より真実を生きるようになる。
永遠の愛という
夢や幻想は、どこから来たのか?
もし、そのウソが、内から来たのなら、
私自身がウソ偽りの存在になる。
そうかもしれない。
そう言えば、たくさんウソをついて生きてきた。
ウソをついたり、
実際よりも、自分を大きく見せたり、
他人よりもマシだと思うことで、
自分を慰めて生きてきました。
芯が腐っていて、
邪悪で偽りなら、生まれ変わる以外にない。
自分は、ダメな存在で、
人間失格だという太宰治の思考は、
あまりにもリアルで、
その思考を信仰して、
暗い青春時代を送った。
岩盤のように
固く醜いエゴのその奥に愛が隠れていて、
人は、ありのままで
素晴らしい神や仏のような存在だと
言い続ける人が登場して、救われた。
和尚の思考を信仰して、救われた。
ここで話を戻す。
永遠の愛という思考は、どこから来たのか?
このウソは、
内側から来たのではない。
外側から来た。
私達は、
外側から来たウソを
正しいと信じ込んで、
人生を混乱させて来た。
生まれる前から、
死んだ後も続く魂が実在していて、
魂は、
言わば、
目に見えない透明のゼラチン状の
鏡でできている。
生まれたとき、クリアーだった鏡が、
だんだん汚れて行く。
鏡に、他人の思考が付着していく。
たくさんの人のウソが、鏡に付着して、
最後は、何も映しだせなくなって、
他人のウソが自分だと思うようになる。
他人の人生を生きて
幸せになれるはずもないけれども、
どうしていいのかわからない。
内奥には、
真実の自分が現存しているけれど、
それは、他人の思考で覆われていて、
身動きが取れなくなっている。
思考のすべては、
他人の思考かもしれない、
と疑う姿勢が必要かもしれない。
思考の中の自分と
他人の区別が付き始めたら、
本当の自分を生き始めることができる。
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本日も、読んで頂き、有難うございました。