【石丸賢一先生「思考とは何か?」】2019年1/16(水)22:10FB投稿より
思考とは何か?
と真剣に聞かれましたので、チャレンジしてみます。
これは哲学的な問いかけであり、昔考えすぎて、円形脱毛症になり不毛な学生時代を過ごしたことがあり、哲学的に答えるのは不毛な気がする。
思考の素材として使うのが言葉で、思考について思考することには矛盾がある。
今ここで使う言葉も思考の素材だから思考をするものが思考なら、わからない思考で思考することが矛盾している。
思考によっては思考できない。
和尚は哲学は時間の無駄だと言い切った。
思考について哲学するのは時間の無駄です。
思考について思考できない。
思考について瞑想ならできる。
瞑想とは見ることに他ならない。
思考を見つめることならできる。
もし自分の思考を見つめることができるなら、様々な思考が来ては去るのが分かる。
普通の思考は、雑念と言い換えてもいい。
様々な念がやってきては去っていく。
mind という英単語が混乱をもたらしているとも言える。
こういう解説の方がわかった気になれるかもしれない。
日本語には心という日本人にとって便利な言葉がある。
mindを日本語に翻訳することができないように、日本語の心を英単語に翻訳することができない!
日本語では、心身と言い、人間の状態を表す伝統がある。
英語では、body, mind, spiritという。
body=体といってよい。
目に見えて、触ることができる肉体について議論する必要がない。
思考する必要もない。
問題は、心=mindか spiritか?
はっきりしない。
心は、mindでもspiritでもない!
しかし、訳語を当てないと理解できない人のために、
日本語訳を当てはめる必要がある。
とりあえずmind=思考、spirit=魂と訳語を当ててみる。
完全にしっくりくるわけではないが、妥協して訳語を決める。
日本語で心というのは、英語では、思考と感情の両方を含む。
まれに日本語の心=mindとなる時もある。
決心する=make up one’s mindという。
しかしこれはまれな古い使い方であり、通常mindとは、頭のハードに対するソフトの全体を指す。
脳内を駆け巡る情報のすべてを指す。
脳の部位により、扱う情報が異なる。
前頭葉において、冷静な思考を処理する。
側頭葉において感情を処理する。
タッチフォーヘルスのESRが、感情ストレスの解放と呼ばれるのは、側頭葉で処理されている否定的な感情を解放するために、前頭葉に触れて側頭葉に流れている血流を前頭葉に流すことで、冷静に思考できるようにしている。
こう考えるとmindには感情まで含むことになり、日本語の心に近いはずだが、英語では、mindとemotion=感情を区別している。
するとmind=思考と訳すのは、無理がないのではないか?
しかし、思考を見つめないかぎり、思考の正体を見ることができない。
こんな説明ではまだよくわからないという方は、質問を投げかけて下さいね。言葉で質問を作ること自体が簡単ではないかも知れませんが。
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本日も読んで頂き、有難うございました。