【ダイアモンドのように輝く人生にするために】ふ
「そもそも人は不道徳なものとみなされている」
この言葉によって瞬時に57年前の出来事を思い出した。そして約60年かかって小学六年生の担任が氣にならなくなった。
私の怒りの原点はこの時にあったのだ、とハッキリと分かった。小学六年生の担任には、本当に嫌われた。
放課後に日記を書かせられるのがイヤで、イヤで仕方がなかった。書いた文章から、感情を汲み取って指導しょうとするのが透けてみえた。
指導されることが我慢ならなかった。日記には絶対、本当のことは書かないと決めた。
私の奥底に流れている感情は「怒り」だと言うことには氣づいていて、それを何とかしたいと、感情解放のセミナーを受けたり、本を読んでみたけれど、ウゥゥゥ〜ン
禅宣言のp.124には、
次のように書かれています。
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禅とは内なる光に目覚めることだ。
その目覚めによって、
一切の道徳はひとりでに
現れてくる。
人びとが私に言うには、禅は美しいが、
いったい道徳はどこにあるのかと
というのも、世界中の宗教が道徳を教えるからだ。
道徳を教え、強制し、
規律を与えないかぎり、
あなたは不道徳になる…
そんなふうに考えている。
そもそも人は不道徳なものとみなされている。
でも、真相は違う。
ただ自分の意識の中に目覚め、
その覚醒に従って行動すれば、
あなたの生は必ず道徳的で
高潔なものになる。
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怒りの感情を、解放したのはOSHOの言葉です。
「自分が輝く」とググってみると
「輝く自分になるためには業を、取り払えば良い」
業とは、妬み、恨み、後悔、トラウマ、コンプレックスというのがありました。
キズついたことは、記憶として体にしまい込まれている。体は必要な時に思い出して、自分のチカラで自分の身体を修復して蘇らせれくれるのです。
私は「怒っている」と氣づいていることです。
氣づくとは、意識していること。
これが「ダイアモンドのように輝く人生にするため」の方法です。
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本日も、読んで頂き、有難うございました。