【ジョン・シーVision】

      《2016年3月23日(水)マシュークリニカル ・タッチフォーヘルス》

      ジョン・シーのVision

       

       

      彼がタッチフォーヘルスを教え始めた時、グリーンブックと呼ばれるようになった本を出版しました。緑色だったからです。

      安い価格で提供出来るように、かなりの冊数をまとめて印刷しました。

      1973年に200冊だとかなりの量です。

      最終的にはクライアントさんに買って貰って完売できるだろうと、

      本は8ドルくらいでした。1973年の話ですからね。

      彼は、こんなに安価な値段で情報が、提供できるのだから、買った人は読んで使うだろうと思ったのです。

      しかし、バランス調整を受けるだけで、自分ですぐに使い始めるようになる人もいたんです。

      バランス調整を受けている時に、すでに、何をやっているのか、分かっているようなので、この本を読めば、筋肉反射テストとか、いろんな情報が書かれているから、読むといいですよ。

      その中には、タッチフォーヘルスの考え方について、書かれているのでね。 

      病気の診断を、筋肉反射テストでとってりはしないんですよ。



      姿勢と生命力をバランス調整しているんです。



      その中には「分かるけど、やっぱり、もっと教えてもらわないとなぁ」という人が出てきたのです。

      金曜日の午後6時〜8時くらいまで体験会を行なっていたんです。

      ちょっと講義をして、デモをして、練習の時間もとって、じゃ、この本を家に持ち帰ってください。

      体験会は無料でした。

      一種のビジネス宣伝ですよね。

      自分で自分のケアをしょうとする氣がある人もいるんですけど、殆どの人は、専門家に診て貰った方が楽だという人もいたんです。

      父は、この本を提供しても、患者さんは、変わらずやってきてくれるだろうと、カイロのビジネスも、続けられるだろうと、思っていました。

      でも「その中には、あなたがやっていることを、私もやりたいんてます。」と、言いだす人が出てきたんです。

      「どうぞ、本があるから、この本を読んで、自分でやってくださいよ。」

      「違うんです。この本を使って、どうやっていいのか、自分が教えられるようになりたいんです。」

      「ええ、でも、あなたが先生になっちゃったら、私は、どうなるんですか?」

      「あなたが教えだしたら、私のところに人が来なくなっちゃうじゃないですか。」

      でも、ちょっと一息ついて、、ストレスを解消して、思い直したんですね。

      そうだな、この国には、問題を抱えている人が何百万人もいるわけだし、youtubeもなかった時代ですしTVに出たとしても、お金もかかるし、見てもらえる保障もないし、私が一生かけて、このワークの使い方を皆んなに、教え続けたとしても、みんなには、届かないだろう。

      ですから社会貢献するということが彼の目的でもあったわけです。

      ですから、これを普及してくれるインストラクターがいてもいいんじゃないかと、思い直しました。

      そして、最初のグループを集めて、訓練したんですね。

      コミニュケーションスキルを、少し指導して、テキストの内容をしっかり理解できるように指導しながら、プレゼンの時間もとって、最初のタッチフォーヘルスのインストラクターが生まれました。

      そして、非営利の財団を設立したんです。
      1973年〜1990年までカリフォルニアにある家に、この財団がありました。

      (その2)に続く

      ================

      本日も、読んで頂き、ありがとう御座いました。

      タッチフォーヘルスインストラクター古里舟光湖へのお問い合わせ