【なぜ傷つくのか?傷にも意味がある】2015年9/6石丸賢一先生のFBから
《2015年9/6の石丸賢一先生の投稿から》
なぜ傷つくのか?
傷にも意味がある。
もし、傷がなければ、人は内側を見ない。
瞑想したくて内側を見る人はいない。
人生が苦しくて、苦しみから逃れたくて、あがく。
どれだけいい訳をしても、自分が不幸で、傷ついていることは、リアルだ。
どれだけ幸せのフリをしても、傷は、そこにある。他人のちょっとしたひと言に傷つく自分がいる。
他人は、自分の希望通りに変わってくれなかったら、幸せは、ないと思う。
その不幸をリアルに感じているのは、内側だ。
内側のどこかで感じている。
最初は、外側さえ変わればなんとかなるのではないかと、あがいて、外側を変えようとする。
外側を変えるあらゆる努力をしても、やはり苦しければ、どうする?
不幸の原因が外側にないなら、残りは内側にしかない。
瞑想をしたくなくても、いつか必ずすることになる。
お金がないから不幸だと思える間は、いい。真剣に金儲けのために時間を潰すことができる。
十分に金を得て、それでも不幸ならどうする?
自分にぴったりのパートナーが見つからないから不幸だと思える間は、いい。
真剣にパートナー探しのために時間を潰すことができる。
好きな人と結ばれて、幸せになれるはずが不幸だとすればどうすればいい?
最後にいつか気がつくことになる。
自分が不幸なのだと。
自分の傷をなんとかしなければならないと。
最後に人は、内側を見つめることになる。
瞑想することになる。
何回も生まれ変わってから、瞑想を始めるのか?
今始めるのか?
いくらでも延期することができる。
私は、30歳で和尚に出会えてラッキーだったと今は、思えるが、その時は、ただ苦しかった!
内側を見るにもエネルギーが必要だ。
エネルギーを失うと、来世に持ち越しになる。
苦しみの原因となる矢が何本刺さっているのか?
内側を覗いて見ないとわからない。
見たくないから隠した傷を見つめるのは、楽な作業ではない。
確実に刺さった矢を抜き去ることができるかは、やってみないとわからない。
しかし、本人が自分でする作業になる。
苦しい苦しいと思いながら、内側を見続けるのか?
自分で積極的に見るのか?
その違いは、あるが、いずれ、内側を見ることになる。
必要なのは、勇気だけだ。
勇気を持って内側を見て、すべての矢を抜き去った時、深く傷ついて良かったと思える。
この傷のおかげで和尚に出会えた。
この傷のおかげで、内側の宝を見つけることができた。
傷に感謝する。
傷には、意味がある。